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お店閉めるって告知してから連日連夜たくさんのお客様&同業者そしてお手伝いにきてもらって。
ありがとうございます。
ホントに、うれしい。
お店に立ってるとピリピリしてはいますがテンパッてるだけです (-_-;)
毎夜、明けてく碧い空を眺めながら感謝のキモチでいっぱい。

お店やることに特別に哲学など持ってはなくて
ただ自分の部屋に来てもらった友達といっしょにゴハン食べてもらって
レコード聴いてバカ話するだけってカンジでやってきただけ。
言いたいこと云って言いたいこと云われるっていう。

この唄のように。
『昨日の夜、もしも僕がキミを傷つけたのならそれはキミを愛してるからなんだ』



自分で自分のブログにコレアップしながら泣ける、、、。

大切なモノっていつだって失くしてから気付く。
あなたも、そしてあたしも。
今夜休んで、後5日かな。
それで終わり。です。

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クラブ ハレルヤは 本日より夏季休業です。
Sorry for the inconvenience.

west coast 582
004.png

★★★★ 映画観る前からサイコーなサントラ盤です
なんたってブラッド・オレンジこと Devonté "Dev" Hynes君参加ですよ。
やっぱりキタね~
ヴァージン・スーサイズ + サムウェア + フェニックス2nd +エール なカンジ。
ジア・コッポラ は亡くなってしまったコッポラ家の長男の娘、でソフィアの姪っ子、ってことは
フランシス・フォード・コッポラの孫。
サントラ盤にはロバート・シュワルツマンも参加。
彼はタリア・シャイアの息子さん、あのロッキーのエイドリア~ンがママ。
きっとあたしはこのゴッドファーザー家にこうやって尽くしていく運命にあるんだろうな。
原作はなんとジェームズ・フランコなんだって。
主演のエマ・ロバーツの叔母様はジュリア・ロバーツ。
(こういうのを月間ロードショー症候群と呼ぶ



またもサバービアな。
で、メイキングがこれまたクール。
字幕欲しい。
途中、お祖父様&お祖母様も登場。 貫禄ありすぎ。



いちばん最後にカメラ機材のとこに貼ってあった白黒の写真…
ジア・コッポラのパパのジオ・コッポラの若い頃の写真なんだね…

その最後にながれてる曲はロバート・シュワルツマンのバンド、ココナッツ・レコーズの曲(サントラ盤には未収録)
"West Coast" です。
このPVがツボ。 なんと、
Mark Gonzales



よゐこはマネしないように。

あー早く映画観たいなぁ。
(アナログ盤はクリアーピンク盤とイラストジャケット盤が出る?みたい
★★★★

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この世の現実から離れたくて映画館に逃げ込んでるというのに。
Life is a movie.ってことか。

息苦しいのは顔のアップの多用のせいかそれとも…
アデルがアデルにしか見えなくて。
3時間、長くはなかったな。



  あなたに恋をしたことを 後悔などしてません。
  後悔してるのは 恋に落ちたこと。

   (ニャンて)

20131108miumiu1.jpg
コレ、あのふたりなのかかぁ? 
演技だってことを忘れさせてくれました。

日本映画がカンヌでパルムドールが穫れないのはどーしてかって?
映画の中でエマの絵に批評家があーしろとかこうしたらって云われて
「 メルド」って怒りまくるシーンがあったでしょ。
日本って国は未だにこの映画に検閲を入れてる
袴田事件もそうだけど、そんな五流国家などカンヌは信じてはいないのだ。

映画館のポスターはアニメとお笑いタレントとアイドルを使った邦画ばっかりだった。
高校生の頃、背伸びをしてフランス映画を観たよ。
ゴロワーズ吸いながら。



アデルが吸ってたのもゴロワーズなのかな。

和製ギル・スコット・ヘロン
テルやあたしがたまにパーティーでかける曲です~

p.s
この世の現実逃避のための波乗りだっていうのに4月に雪だった。
まぁ久しぶりにカズミと入ったけど。
またカサノに行きたいなぁ。ワンコもいっしょにさ


たとえそれが駄作と呼ばれる映画であったとしても(どれが駄作?)、彼が演じるシーンでは時に主人公よりも強烈な印象を残すこともあったし、たとえそれがハリウッドのアクションエンタメ系映画であったとしても
まるで名もないインディーズ系映画に出演している時と同じような振る舞いで僕らを楽しませてくれた。
内容もまだよくわからない新作映画のキャストの中に彼の名前があるだけで、もうその映画は名作の仲間入りも同然の証だった。
いやどんな監督であっても俳優でも、一度は彼といっしょに仕事をしたかったんじゃないか。
監督も俳優もスタッフも彼と同じ現場に居れることをどれだけ幸せに思っていたことか。
観客の僕らも映画の本編よりも本当に見せたかったのは彼のシーンにあったのではないか、そう思わせるようなマジックをもっていた。
フィリップ・シーモア・ホフマン、僕にとって、いや世界中の映画マニアにとってこれほど特別な存在の俳優はここ数年はいなかったように思う。

しかし悲しむべきは彼のいなくなったことではなく、彼の演技や映画を観たり語らなかったりすることなのだ。
映画の中での彼の涙は、君や僕の涙であったはずだし、熱く語る彼のセリフを何回も見ているうちに
まるでそれが僕らの吐いた言葉だったと錯覚したものだった。
彼は同じ痛みや苦しみを持った人たちのココロを一瞬にして鷲掴みてにしてみせた。
そして僕らはそこに彼の持っている痛みを感じとれるようなキモチにもさせてくれた。
僕らは映画の中に、どこか満たされない自分の虚無感にシンパシーを持ってくれる言葉や演技を追い求めてスクリーンに向かい合ってきたんじゃなないのか。
演技派、なんて言葉は好きじゃない。
だってどんな俳優も映画では演技してるものだろ。もしもそれが等身大の彼らに見えたとしたならそれも演じるということの一つでもあったはず。
彼の話す英語でなくてもスペイン語でも日本語の吹き替えでも彼のスクリーンでの佇まいは言葉を超えて魅了させてくれた。

この映画『あの頃ペニー・レインと』の中でのフィリップ・シーモア・ホフマン扮するレスター・バンクスが主人公ウィリアムに対して深夜の電話で、バンドとの記事についてを助言するシーンで僕はまるでウィリアムになったようなキモチで彼の話にココロを留めた。

「俺達はカッコつけの人種じゃないんだ。だから女とも、うまくいかないのさ。…」
 

『ザ・マスター』は2回観たよ。
ホアキン・フェニックスとの演技合戦的なところだけが話題になっていたけど
ポール・トーマス・アンダーソンの作品は全て彼がそこに居てこそ。
彼が居なければ二流の監督で消えていたかもしれない。

『The Master』から『中国行きのスロウ・ボート』を。





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